春秋謳歌

第55回 熊本地震被災地に災害酒造り特区を!

第55回 熊本地震被災地に災害酒造り特区を!

 九州新幹線が開通する前は鹿児島からの熊本出張は2泊3日が多かった。午前の会議に出席するために前泊し、その夜の交流会で一泊しなければならなかった。それが今では日帰りで十分対応可能で、新幹線効果は絶大である。その新幹線が地震で止まってしまった。高速道路も通れなくなり、九州経済は大打撃を受けた。酒蔵も小売店も大きな被害を受けた。5月の大型連休は鹿児島の観光地も閑古鳥が鳴いていた。いかに熊本が九州を支えていたかを痛感させられた。まさに九州はひとつだったのである。

 大きな災害のたびに思い浮かぶのが、現代社会のもろさである。被災地からは水を求める悲鳴が聞こえてくる。筆者の幼いころはたいていの家に井戸があった。水道の普及に伴い井戸は消え、停電のときには水が汲めなくなった。風呂は薪を焚いていた。まわりの山には薪がふんだんにあった。自給自足に近い生活で、遠くまで買い出しにいく必要もなかった。車もテレビもない時代であった。ラジオを聴きながら家族団欒の時間を過ごしていた。大人たちにとっては焼酎を酌み交わすのが何よりの楽しみだった。

江戸時代の焼酎蒸留器(「南島雑話」)

江戸時代の焼酎蒸留器(「南島雑話」)

 昔ののどかな光景も、熊本地震のような大地震では吹っ飛んでしまうだろうが、それでもIT社会や車社会といった社会の進歩が被害者を増大させている現状には考えさせられてしまう。

 被災者には一時なりと安らぎの時間を味わってもらいたい。多くを失い辛い日々をおくる人たちに手づくりの楽しさと暖かさを届けたい。晩酌など不謹慎と思わずに、くつろぎと明日への英気を養ってほしいものである。酒を手に入れるのが気がひけるようであれば、災害特区に指定し、ドブロクや赤酒、焼酎の製造を許可してもらえないものか。江戸時代、熊本藩は赤酒を御国酒として保護、奨励していた歴史を持つ。

 かつて酒は家庭で造るものだったのである。

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