春秋謳歌

第44回 魅惑の泡盛

第44回 魅惑の泡盛 梅雨明けの沖縄の暑さは鹿児島とは異質なものだった。鹿児島の夏にはお湯割りがよく似合うが、沖縄の暑気払いには泡盛をストレートでグッとやりたくなる違いがある。そのせいか、泡盛には割る文化がなかった。クース(古酒)を小さなグラスでキュッとやる文化で中国の白酒の飲み方でもある。

 江戸時代、琉球王府の庇護のもとに造られていた泡盛は高価に取引されていた。そのアルコール度は今よりもずっと高かった可能性がある。明治中期に書かれた「薩摩見聞記」には「泡盛は琉球より来る火酒の強きもの」で、「酒精最も強く多く之を飲みたる時煙草を吸へば口中火を呼ぶよし。又或時之に酔ひて手に蝋燭を取りたるに、その火風に靡きて手に移り全身焦げて死せしものありと云ふ。」と記されている。火がつくとなると50度くらいはあったと思われる。また江戸時代中期、新井白石の著「南島誌」によれば、その製法は「須く水を下すべからず」と中国式の固体発酵であった。情報収集と解析力に長けていた白石の言葉だけに信じることにしよう。固体発酵であれば容易に高濃度のアルコール度を得ることができる。

泡盛貯蔵壺

泡盛貯蔵壺

 沖縄の海中道路の途中にある海の文化資料館には中国の皇帝から贈られ進貢貿易に使われた船をモデルに造られたといわれるマーラン船の資料が飾られていた。この造船技術は福建省のマーラン(馬艦)船の造船技術と関係があるという。福建省は琉球へのサツマイモ伝来の道であり、蒸留技術もこのルートで伝わってきたと思われる。福建から琉球への文化、技術の伝来は大変密なものがあったが、それに比べ、琉球から薩摩への伝播は驚くほど遅い。サツマイモは伝来に100年を要し、全麹造りの泡盛製法や黒麹、そしてクースの文化も薩摩に伝わることはなかった。そして、泡盛は長い歴史を持ちながら製造法や黒麹の起源などの実態が明らかになっていないのも不思議なことである。

 泡盛は謎を内包したまま、コバルトブルーの海のように魅惑的な光を放っている。

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